エピクテートス曰く「子供を愛撫しながら、君は心の中でこういうべきである。もしかすると明日お前は死んでしまうかもしれないと。」そんなことは不吉だ!「いや、少しも不吉ではない」と彼はいった。「ある自然事を意味するにすぎないのだ。さもなければ穀物の穂が刈り入れられるというのも不吉なことになってしまうではないか。」―――― 自省録 マルクス・アウレリウス

ちょうどこんな具合のものを読みながら、高校時代の友人の結婚式へいきましたよ。いまどき珍しい仏式の結婚式で、鎌倉の観光地にもなっている大きな寺の境内の奥の奥、仏閣というより普通の民家のような庵の座敷で行われていました。

寺といっても座禅会や説教会が毎週開かれていたりしていてお葬式の時だけ機能するようなお寺とはちょっと違うのです。新郎新婦も座禅会へ参加したことがあって寺に馴染みがあるということで仏式にしたそうですが、僕のような俗世間に漬かりきった人間には仏様と聞けばお葬式とかのイメージしかないんですよね。でもそんな偏見のお陰で真に宗教的な儀式としての結婚式というかなんというか、結婚が人の生死のレベルの原初的な出来事っぽい雰囲気がして興味深かったです。その分カメラを向けるのも気が引けてしまうわけですが、それはそれでいいんじゃないかなと。

新郎は最後の挨拶でもこれまた仏教にからめて、座禅の時の無心無欲の境地に立ってみれば、今の自分は最高に幸せで、これ以上望むものはないから社会の役にたちたい的内容のトークを挨拶でしてくれて本気で感動してしまいましたよ。自分がいかに幸せかなんて主張する新郎の挨拶はなかなかないって。コレ聞くために出席したようなもんだなぁ。ホントおもしろかったです。