社会形成

場所とか雰囲気以前に単にキーボードを叩くひまが無いというのであれば分かるが、単純に待たされる時間や移動の時間を作れば社会形成がうまくいくという議論には違和感を感じる。DAOCでの*1転送パッドの上で待たされる数分でパーティを探したりお遊びのDuelは良いのだが、馬に一人で乗っているときや、狩場へばらばらに走っていくときのパーティーチャットを使った実際の距離を無視した会話などは違和感があるし、内容も関係の無い話題になることが多く、単なる暇つぶしでしかない。
MLでは新しい提案がなされていて、もう少し複数の人が会話しないと分からない事象があればよいというものだ。例として医者と患者のやりとりが挙げられている。ちょっと面白いと思ったのだが、システムが無理矢理協調作業をするように押し付けても、結局複数アカウントなどを使って世知辛い処理をされてしまうのが見えているように思う。ラグナロクではもう代売商人は代買商人はいなくなってしまったそうだ。昔は計算機を自作してお店屋さんごっこに熱中させてもらったこもあったが、寂しいことだ。
これについてはずっと考えていたのだが、単なる空き時間ではなく、人が集まる場所や機会を街以外にもつくることが重要なのではないかと考えている。サーバへの負担から意図的に分散させるデザインや誘導がされることがあるが、寂しいことだ。転送パッドはうまくいっている稀有な例だと思う。
そういえば不思議な現象があって、ラグナロクのαテストの当時、ほとんどのダンジョンのフロアには各一個所だけ水場があり、それは単にちょっとした池のようになっていて、中に入れるようになっているだけなのだが、なぜか皆そこへ集まってきていたのだ。あれはいったいなんでだったんだろうか。

*1:RvRエリアへ行きたいプレイヤーは転送パッドの上で転送魔法がかけられるのを待たなくてはならない。転送は15分毎程度の頻度で行われ、パッド上にいる全員が同時に目的地へ送られる。